国土利用と地域政策

放っておくと地域間格差は拡がる 市場の失敗 政府の介入が必要

 

日本の地域構造

明治期から昭和期にかけてみられる日本の地域構造

軽工業 繊維産業

 

阪神・中京→商人・紡績技術が集積(繊維工業地域),綿紡績工業の発展

 

大阪:繊維問屋(専門商社)が集積

  のちの関西五綿(伊藤忠商事、丸紅、トーメン、ニチメン(現双日)、兼松)

 

東海地方:綿作地帯(三河~遠州)→綿紡績の機械化→豊田・浜松の工業基盤へ。

Cf. 豊田自動織機

 

首都圏周辺:軍需産業の最大拠点地域(殖産興業,富国強兵)

→東京・川崎・相模原・横須賀

 官需依存の電機技術・通信機器(NEC,沖電気,日立,東芝など)

 

戦車・航空機・造船技術(三菱重工業,中島飛行機など)

→機械系技術者の集積形成,特に戦後の北関東における自動車産業の発展には航空機技術者の役割大.

 

地方圏:鉱山開発(鉄山,銅山)・炭田開発→企業城下町の形成(日立,延岡,八幡など)、伝統産地など。

 

経済の地域性

産業・企業の立地・・・地域構造の軸。

時代による主導産業(リーディングインダストリー)の変化

国土計画・地域政策⇒インフラの整備,地域経済の発展策

→時代区分をどう捉えるか?日本経済の地域構造では,下記の時代区分が代表的である.

 

・明治期~昭和期:産業技術,地域の風土など現代の地域経済につらなる歴史的な背景が形成

 

・1940年代以降…企業集団・メインバンク制などの制度はこの期に源流があるとされる.

 

・戦後の高度経済成長期(前期・後期)…太平洋ベルト工業地帯の形成,製造業立国の礎

 

 

低成長期時代(1970年代~80年代中頃)

地方の工業誘致,製造業の分散「日本列島改造論」

集中豪雨的輸出→貿易摩擦問題

 

国際化時代(1980年代後半~1990年代中頃)

プラザ合意後の円高基調による製造業の国際展開,

ASEAN・中国などへの進出.産業空洞化問題.

 

グローカル時代(1990年代後半~)

グローバル展開と国内回帰(ローカル化,集積指向)の混在

「失われた二十年/移りゆく二十年」?

 

地域経済への視点

  1)地域構造論→産業立地とその投資・資金循環によって地域経済が規定されると考える。

  2)産業連関分析→移出・移入産業による地域循環モデルで考える。

  3)自治体経済論→地方財政論からの地域経済へのアプローチ。

 

 

日本の地域構造…大都市圏と地方圏の対比

 

三大都市圏…工業の集積,政府や大企業の本社など中枢管理機能,

大使館や外国資本などの国際機能の集中,多様なサービス産業が集積

→特に,集積の度合いが首都圏で強まり,関西圏は社会減少,首都圏一極集中。

 

大都市圏…都心の人口減少,郊外都市の外延化(住宅地の建設,ニュータウンの造成),通勤圏は50~60kmまで拡大。21世紀に入って,郊外都市での高齢化が進み,生活の便利な都心居住へのニーズが高まることで再都市化が進み,都市のコンパクト化が課題。

 

地方圏…地方中心都市が広範に分布,10~20万人規模の地方中心都市,

県庁所在地など地方中核都市,複数の県にまたがった広域圏ごとに,

都市圏人口100~200万人規模の札幌,仙台,広島,福岡など地方中枢都市があり

階層的な都市システムが形成されている。

→高速交通網の整備→行動範囲の拡大

→高次消費機能が立地する中枢・中核都市への集中(中小都市の人口減少,中心市街地の衰退)

 

国土政策の歴史

国土政策前史(1)

 

傾斜生産方式(priority production policy)

第二次世界大戦後の日本において,経済復興のために立案された経済政策のパッケージ。

基幹産業へ重点的に資源を配分することにより,他の産業への波及効果を惹起させ,

マクロ経済の成長につながることが期待された。

1946年12月に当時の第1次吉田茂内閣によって決定された。

具体的には,石炭や鉄鋼の増産を重点的に支援して,他の産業への波及効果を狙って補助金などで支援した。

食品関連,電力,造船,海運なども重点分野の産業として指定,支援した。

 

国土政策前史(2)

 

北海道開発法(1950)

北海道における資源の総合的な開発に関する基本的事項を規定することを目的として制定。

 

電源開発促進法(1952)

すみやかに電源の開発送電変電施設の整備を行うことによって,

電気の供給を増加して,日本の産業の振興と発展に寄与することを目的とする法律。

 

首都圏整備法(1956)

大都市圏の整備計画に関する法律。

   cf.近畿圏(1963)、中部圏(1966)

 

 

国土総合開発法…1950年~2005年

この法律に基づき過去5回の全国総合開発計画が策定。

国土形成計画法…2005年に改正。

 

日本の国土政策

地域間(所得)格差の問題,大都市圏の過密問題,地方の農山村の過疎問題,

全国的な社会資本整備の不十分さなどの諸問題に対処するため,

約10年間隔で全総計画が策定されてきた。「国土の均衡ある発展」が主なテーゼであった。

 

成果と課題

工業の地方分散や地域間の所得格差の縮小などの成果がみられた一方,

開発中心主義にもとづく過度の公共投資,地方における建築土木業依存などの体質を生みだした。

 

今後の展望

①開発中心主義からの脱却,②地方分権型国土政策への転向,

③ハード重視からソフト(教育・福祉等)重視への移行

 

 

国土政策・地域政策の変遷(1)-内閣府による現状分析より

戦後日本の国土政策・地域政策は、国の主導による「国土の均衡ある発展」

「地域間格差の是正」を基調とした、5次に渡る全国総合開発計画(全総)

及びその具体施策としての地域振興、産業立地・振興、大都市圏・地方圏の

社会資本整備等により実施されてきた。

政策の大きな流れは、戦後復興期から高度成長期にかけて、まず大都市圏への投資を

集中的に行い、その後地方圏への投資を行うというものであった。

そして、近年では地方分権の進展などにより、地域の自主性に基づく、

地方の主導による国土政策・地域政策が指向されている。

 

国土政策・地域政策の変遷(2)

戦後の地域開発の最も主要な柱は地域間格差の是正であったが、

地域間格差が生じた大きな要因は、高度成長期に生じた地方部から

都市部への人口移動であったと考えられる。

戦後復興期に大都市圏を中心とする地域への産業基盤整備が重点的に行われた結果、

企業や行政機関、教育機関などが大都市圏に集中し、特に、地域間の成長・発展力に

格差が生じ、若年層を中心として地方から都市に流入する。

そうした生じた地域間格差と都市の過密化、地方の過疎化に対処するために、

その後、地方部の産業基盤整備が進められることとなった。

 

国土政策・地域政策の変遷(3)

全国総合開発計画に基づく地域開発施策などにより、工場・教育機関等の地方分散、中枢・中核都市の成長が進展し、社会資本も整備され、長期的にみれば、大都市圏への急激な人口流入は収束に向かい、地域間の所得格差もかなり縮小に向かった。さらにその後、個性豊かな地域社会の創造に価値を置く考えや、地方にできることは地方に任せるべきとの考えなどが重視される傾向が強まり、地域政策の方向性は地域の主導へと転換してきている。

 

国土政策・地域政策の変遷(4)

しかしながら、「国土の均衡ある発展」と「地域間格差の是正」が一定程度達成され、これからは地方主導の時代であるとされる一方、地方では少子高齢化と人口減少による自治体財政の悪化と地域経済の衰退に直面している厳しい現状がある。2000年の地方分権一括法施行により、国と地方の役割分担は大きく見直され、地方の自立が制度的にも担保された。平成の市町村大合併、国庫補助負担金、地方税財源、地方交付税の三位一体改革が行われるとともに、規制改革による特区制度などの地域活性化施策が推進されている。

 

国土政策・地域政策の変遷(5)

地方分権改革により基礎自治体への権限委譲、財源移譲が進められたとしても、

少子高齢化と人口減少への対策を早急に講じなければ、基礎自治体が自主性を発揮するための体力そのものが衰退することは避けられず、地域経済活性化の担い手としての基礎自治体の自立は困難と言わざるを得ない。

  →夕張問題、消滅自治体の問題

 

 

国土政策の展開

  <日本の国土計画の体系>

国土政策の推移

全国総合開発計画(5次にわたる)

年代 開発計画 考え方 内容 法律・計画
1951~

特定地域

総合開発

経済の復興

ダム、治山、

治水、電源開発

北海道開発法
1962~ 一全総 地域格差是正 拠点開発構想  
1969~ 二全総
(新全総)

公害対策

過密対策

大規模プロジェクト構想

工業再配置促進法

全国新幹線鉄道整備法

1977~ 三全総 生活環境の整備 定住圏構想

国土利用計画法

テクノポリス法

1987~ 四全総 多極分散型国土の構築 交流ネットワーク構想 リゾート法
1998~ 五全総 多軸型の国土形成の基礎作り 多自然居住地域の創造 

振興拠点地域制度

新たな地域政策

地域政策の歴史

新産業都市法(1962~2001年)→新産業都市(15地域)の建設

工業整備特別地域法(1964~2001年)→基盤整備による工業開発

農村工業導入法(1971年)→農村地域への工業導入

工業再配置促進法(1972年~)→太平洋ベルト地帯から地方への移転・分散の促進

 

高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)(1983~1998年)→地方圏のハイテク製造業立地促進。全国で26地域が指定。

頭脳立地法(1988~1998年)→地方圏のソフトウェア等産業支援サービス業の立地促進

地域産業集積活性化法(1997~2007年)-空洞化対策としての地域ものづくり集積の強化

 

産業クラスター政策 (経済産業省が管轄

(第Ⅰ期2001~2005年度、第Ⅱ期2006~2010年度、第Ⅲ期2011~2020年度)

地域経済を支え、世界に通用する新事業が展開される産業クラスターの形成促進。

 

知的クラスター事業 (文部科学省が管轄

(第Ⅰ期2002~2006年度、第Ⅱ期2007~2009年度)

地域のイニシアティブの下で、地域において独自の研究開発テーマとポテンシャルを有する大学をはじめとした公的研究機関等を核とし、地域内外から企業等も参画して構成される技術革新システム。

 

クラスター概念→Michael Porterが提唱。

経済が発展している地域は、特定の産業分野において関連する企業、専門性の高い原材料・サービス等の供給業者、それに関連する業界の企業、また私企業ではない関連機関(大学や業界団体、地方政府等)が地理的に集中しているとした。そのような状態をクラスター、もしくは産業クラスターと呼び、域内で各主体が「競争しつつ同時に協力している状態」をさす。

 

クラスター = 競争力

 

  <クラスターのフレームワーク>

21世紀の国土政策

 財政制約のもと既存資源の活用。「国土の均衡ある発展」のテーゼが後退、

 都市間・地域間競争を促進するスキーム。

 

都市政策→規制緩和(再開発の促進)、都市集積の活用

地域政策→競争力の向上、競争優位をもつ地域産業の強化

 

成長戦略としての都市・地域政策→競争指向

今後、社会的公平をいかに実現するか?

  地域間格差の問題、過疎問題、限界集落・消滅自治体への警鐘、

  空き家問題など

  集積指向の政策と居住地選択自由とのバランス

  経済学の「議論」とトポフィリアの「物語」の落としどころはどこか

 

都市・地域開発の歴史

産業革命以来イギリスの都市発展は異常なまでの成長

生活環境が劣悪で伝染病がはびこる巨大都市ができあがった。

(ロンドン、マンチェスターなど)

1851年のロンドン推定人口密度は約25,000人/k㎡

例)東京23区;約14000人/k㎡ 、パリ;20000人/k㎡ 、ロンドン10000人/k㎡

 

1848年に公衆衛生法が制定され、建築や都市施設に対する基準が定められるようになった

 ⇒(近代の都市計画の原初)。

 

19世紀後半、そうしたロンドンの改革を行うべきとしたのが、

社会学者エベネッツァ=ハワードが『田園都市』構想を唱えた。

 

<構想の骨子>

人口数万規模(大きすぎない)で、

自律した職住近接型の都市をロンドンの郊外に建設するものである。

住宅は公園や森に囲まれ、農作業などをするスペースもある。

貧富の差なく、多様な家庭のための賃貸住宅があり、

その賃貸は田園都市を運営する土地会社によって行われる。

この資金を元手に、住民たち自身が公共施設の整備などをすすめるなど、

住民によるコミュニティ形成もめざしたところが重要な点。

 

1903年にロンドン北郊のレッチワースに田園都市を着工し、その運営を軌道に乗せた。

1920年にはウェリン=ガーデンシティを作り、この成功はイギリス政府を刺激し、

その後政府の手で30以上のニュータウン・コミュニティが建設された。

 

 

田園都市構想の日本への影響

 

イギリス⇒職住近接(職場も作る)

日 本 ⇒職住分離(ベッドダウン)

 

 

 

都市計画の概要

日本の都市計画

1968年に旧法が廃止され、同じ名称の法律(新法)が新たに施行。

新都市計画法では、高度成長期の市街地化の進展に対応し、

市街化区域と市街化調整区域の区分や、開発許可制度が定められた。

 

まちづくり3法の一環として、改正都市計画法が2006年に成立。

 

なお、首都圏整備法、近畿圏整備法、中部圏開発整備法の適用を受ける

三大都市圏においては、市町村の判断により、規制運用方法の違いがある。

 

都市計画区域は、都道府県が指定。

都市計画区域は、

国土の25.7%のみ

だが91.6%の人が住んでいる。

 

市街化区域と市街化調整区域の

区分を定めることができる。

政令指定都市は必須

市街化区域

優先的かつ計画的に市街化を進める区域。

具体的には、「すでに市街地を形成している区域」と

「おおむね10年以内に計画的に市街化を図るべき区域」によって構成される。

市街化区域は、国土の3.9%を占める。

 

市街化調整区域

市街化を抑制する区域。この区域は、開発行為は原則として抑制され、

都市施設の整備も原則として行われない。国土の10.3%

 

非線引き区域

区域区分が定められていない都市計画区域。

 

用途地域 (12種類)

工業専用地域 工業地域 準工業地域

商業地域 近隣商業地域

準住居地域 第一種住居地域 第二種住居地域 

第一種中高層住居専用地域 第二種中高層住居専用地域

第一種低層住居専用地域 第二種低層住居専用地域

 

※準工業地域が再開発の対象となっている

 

 

都市開発と管理

戦後日本の都市開発

都市化による住宅の不足への対策

  公営住宅の供給…日本住宅公団 のちのUR

  cf.高島平(1972年入居開始、総戸数10,170戸)

   光が丘(旧米軍グラント・ハイツ、1983年入居開始)

 

ニュータウンの建設(街びらき)

 千里ニュータウン(1962年~、日本初の大規模ニュータウン)

 多摩ニュータウン(1971年入居開始)

 港北ニュータウン(1983年)、千葉ニュータウン、常総ニュータウンなど。

 みなみ野シティ(八王子ニュータウン)1997年に街びらき

 

多摩ニュータウンの概要

多摩丘陵に計画・開発された日本最大規模のニュータウン。

幹線道路を境にして中学校の学区を基本単位とする21の住区に分けられ、

生活の場から不要な通過交通を排除することなどを主眼とした「近隣住区理論」にもとづく。

入居が開始時期:諏訪・永山地区(1971年)、若葉台(1999年)、

はるひ野・黒川地区(2004年)

 

郊外・ニュータウンの課題

ニュータウン以外では住宅地の開発は「虫食い」的に行われ、その後道路網、鉄道網の

効率的な整備に支障が生じた。こうした虫食い的な都市化をスプロール現象という。

 

地価が上昇して都心部(東京では山手線内)では戸建て住宅を購入するのが難しくなり、

沿線開発にともなって郊外につくられたニュータウンや大規模住宅地へ人口が流入した。

こうした郊外の人口密度が高くなる現象をドーナツ化現象という。

 

東京における都市開発の問題点

狭隘な住宅、遠距離通勤を余儀なくされる郊外への展開、(外部不経済)

宅地開発時に入居した世代の高齢化(郊外の衰退?都心回帰?)、

職住分離型開発におけるコミュニティ問題、

効率的な開発を制約する建築物の乱雑な密度など。

 

外国と日本の経験:都市化の新たな段階へ

 21世紀の国土政策

「国土の均衡ある発展」のテーゼが後退、地域間競争を促進するスキーム。

 

1970年代…先進国の低成長時代、

福祉国家政策(ケインズ主義的財政)の終焉、郊外化の時代

 

都市内部地域の荒廃(欧米圏)

低賃金労働者の滞在、マイノリティの集住、不法移民等の流入

→富裕層・中間層の郊外移転

 

地方の時代(日本)

戦後初、三大都市圏からの流出人口 > 流入人口

新自由主義的都市政策、不動産の活用、民活

都市の再開発(シティ、ラ・デファンス地区、東京の副都心開発)

 

ジェントリフィケーション

都市において比較的貧困な層が多く住む停滞した地域

(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、比較的豊かな人々が流入する人口移動現象。

 

都市化→社会問題とする立場積極的に推進する立場が強くなってきた。何故か?

 

都市の効率性

⇒エネルギーコスト、公共財の維持管理コスト、公共交通機関へのシフト(モーダルシフト)など

 

創造都市論

都心部の職住近接型開発→富裕者層を中心とした「クリエイティブ・クラス」による成長論。

 

コンパクトシティ論

都市規模サイズの適正化、生活圏と都市圏の一致をめざす都市構想。

ライトレールトランジット(Light rail transit, LRT)など。